今回は元英語教師がそんなことを言ってちゃおしまいだよと言われそうなテーマにしてみました😅
英語教育は私にとって長年の飯のタネだったわけですが、現職中から「今机に向かって一生懸命単語や文法を習得しようとしている時間が、将来のこの子達にとってどれ程の糧になるのだろう」ということは日々考えていました。そして海外移住を果たし、英語教師として培った英語力では日常会話さえ満足にこなせないと実感したことで、そのことをますます強く思うようになりました。さらに今回は、海外で生活するようになって新たに感じるようになったこともあわせてまとめてみました。
英語が話せることは特別なことではない
海外に移住して複数の言語を当たり前のように使いこなす人たちに囲まれて生活しているうちに、世界的に見れば英語が話せることは特別すごいことではない、むしろ彼らからすれば日本語が話せることの方がずっと特殊なことなのだと感じるようになった日本人は私だけではないと思います。
マレーシアでは幼稚園から英語教育を取り入れているとのことで、大多数のマレーシア人はマレー語と英語を同等に使いこなすことができます。さらには中華系やインド系のマレーシア人たちが英語、マレー語に加えて自分達のルーツである言語までも自在に使いこなすことは珍しいことではありません。もちろん彼らが何の努力もせずにマルチリンガルになったわけではないと思いますが、そもそも生活する上で多言語を習得する必要性があるかないかという点からして言語環境が違い過ぎるので、日本で生まれ育った日本人がもれなく高水準な英語力を習得するということ自体、無理があるように思います。
日本の多くの学生は希望の高校・大学の入試に合格するために、高難度な読み書きとしての英語を膨大な時間を費やして学習しています。しかし実践的なコミュニケーションの機会が圧倒的に足りないので、基本的なやり取りさえまともにできないまま社会に出て、結局学生時代に習った内容のほとんどを忘れてしまうという人が多いことでしょう。貴重な学生時代の時間が本当に勿体無いと感じてしまいますよね。中学校で必要最低限の語彙や文法を身につけて、それを基に高校で実践的な英会話トレーニングを行った方が、余程有意義な学びになるのにと個人的には思います。それぞれの国の実情に応じた英語教育が施されれば、それでいいのではないかなと思うようになりました。
「グローバル力=英語力」ではない
マレーシアで暮らしていると、日本のブランドや日本食レストランは本当にローカルの人たちに人気が高いなと日々感じます。ユニクロは日本のショップよりも割高なので、物価が安いマレーシアでは結構いいお値段の部類です。それにも関わらず特に休日は試着室に長蛇の列ができるほどの大人気だし、ドン・キホーテ(DON DON DONKI)の店内は連日ローカルの人達でごった返しています。また、日本製に見せるためにパッケージに不自然な日本語が表記されているような海外製品もちょくちょく見かけます(笑)。マレーシアの映画館で日本のアニメの映画を見ましたが、オープニング曲が流れ始めると周囲の人たちが一斉に歌を口ずさみ始めてびっくりしました。2回、3回見に来ている人もいるのかもしれません(だとしてもみんなが歌い始めるのは日本ではないですね😅)。日本のアニメはマレーシアでも人気が高いですね。
日本品質を絶賛する海外の人達は、私たちが引け目に感じているほどには日本人の英語力の低さを見下していないでしょう。むしろ島国の単民族国家だからこそ、日本では勤勉さや誠実さなどを重んじる共通認識が保たれていることの方が高く評価されているようです。海外の人たちは、日本は英語力が低いのでグローバル化に遅れをとっているという風にはさほど考えていないように感じます。
だけどやっぱり、日本人こそ英語が話せた方がいい
以前、Grabを使って職場へ向かう途中で、ドライバーに『どこの会社に勤めてるの?』と聞かれたので会社名を伝えたところ、『えっすごいね!僕そこのマレー語ポジション何回も受けてるけど全然受からないよ』と言われました。マレーシア人にとって英語も話せるということは当たり前のことなので、マレー語,英語が求められるポジションと日本語,英語が求められるポジションでは採用倍率が全く変わってくるということはあるかもしれません。
とあるネット記事のデータによると、日本語の母語人口は世界の総人口の2%にも満たないのだそうです(ほぼ日本人の人口と同じのはずなので、そうなりますよね)。そこから英語を話せる人の割合は多く見積もって1割とのことですが、日本で生活する日本人の10人に1人が英語が話せるとは到底思えないので、英語で問題なくコミュニケーションがとれる人の割合はおそらく数%といったところでしょう。日本の技術や文化は世界中で称賛されているのに、日本語と英語が話せる人はものすごく希少ですよね。英語教師は英語を学ぶ意義として、とかく『英語が話せると世界中の人と繋がれる!』ということに焦点を当てがちですが、今の自分だったらかなり現実的に、ただでさえ希少な日本語話者の中で英語が話せる人が少ないからこそ日本語と英語両方話せることはとても価値があるということも併せて伝えたいかな〜なんてことを思います🤔
まとめ
この記事を書くきっかけの1つになった本を紹介します。
「日本人の9割に英語はいらない (祥伝社黄金文庫) 成毛眞 (著)」
タイトルからして結構独断的な内容ではありますが、『英語が苦手なら通訳を雇えばよい。英語力よりも替えの効かない確かな実力があってこそグローバル社会で通用する人材になり得る』という持論や日本の受験制度の問題点の指摘など、英語が話せない元英語教師にとっては共感できる部分が多かったです。10年前の書籍ではありますが日本の英語教育の問題点は今もさほど変わってないように思います。内容の全てを鵜呑みにしたわけではありませんが、このような考え方の一部でも日本に浸透すれば、日本の英語教育が今より有意義なものになるかもしれないなと考えさせられた一冊でした。
英語教育はともかく、学業だけでなく公共心や道徳心など、子ども達の心の成長にも力を注ぐ日本の教育は素晴らしいと私は今でも思っています。もう少し柔軟に、例えば義務教育のうちから個々の得意分野を伸ばすカリキュラムを加えるなどして子ども達の才能を最大限に伸ばすことができたら…そういった取り組みこそが、今後必要とされる本当のグローバル化と言えるのかもしれません。